映画作家が全工程を手放さない理由
大笑シネマプロでものを撮るとき、私たちはまず「これは作品か」と問う。販促のための動画ではなく、一本の映画として最後まで責任を持てるか。その問いの中心にいるのが映画作家・松村穂高だ。1980年、大阪に生まれ、フィルムとデジタルの両方を学んだ世代にあたる。脚本、演出、撮影、編集、そして音――ミゾンセン(画面の中に置かれるすべての要素)に至るまで、映画作家が自分の手でコントロールする。それがこのスタジオの出発点であり、譲れない流儀である。
なぜ手放さないのか。工程を分業に渡すたびに、最初に感じた手触りは少しずつ薄まっていく。脚本の段階で見えていた一本の線を、撮影で、編集で、音で、同じ人間が引き直し続ける。そうして初めて、作品は途中で別物にすり替わらずに済む。映画作家がカメラの後ろに立ち、同じ目で編集机に向かうこと。その一貫性こそが、私たちの考える「作品」の条件だ。
自己犠牲というテーマと、自然のミゾンセン
松村が繰り返し向き合うテーマの一つに「自己犠牲」がある。誰かが何かを差し出すとき、人の輪郭がいちばん濃く立ち上がる。その瞬間をどう画面に置くか。森や木々、植物といった自然を背景や前景に据えるのも、ただ美しいからではない。人の営みの儚さと、それを包む時間の長さを同じ画の中に同居させたいからだ。自然のミゾンセンは、説明の言葉を足さずに、登場人物の内側を語ってくれる。
こうした態度は、米国で撮った第一作『Mother’s Birthday』(2013年、中編物語映画、松村監督)からすでに芽生えていた。手探りで一本を撮り切った経験が、後の「全工程を握る」という信念の土台になっている。
自主映画から広告作品まで、一本の線で
映画作家の仕事は、自主の物語映画とそれ以外を分けない。むしろ同じ流儀を、依頼の作品にも持ち込む。物語映画では『真夜中の配達アプリ』(2021年、中編、松村監督)、広告でありながら物語の形をとった『サラバ!見て回り手書きメンテナンス』(2021年、松村監督)。奈良の刃物ブランド・菊一文珠四郎包永を描いた広告ドキュメンタリー三部作『Kikuichi Story』(2022年、松村監督)では、商品を売る前に、刃物を打つ手と時間そのものを記録した。
京都の仏師・宮本我休を追った『我休-GAKYU-』(2023年)は蝶河舞監督の作品で、松村は撮影と照明を担った。監督ではなくシネマトグラファーとして一本に加わるときも、光をどう置くかという問いの立て方は変わらない。物語であれドキュメンタリーであれ、被写体への敬意と、画面を構築する責任は同じところにある。
海外の現場で磨いた撮影と照明
撮影照明の腕は、海外の制作会社からの依頼でも鍛えられてきた。英国のAcumen MediaやTBD Media Groupに請け負った作例には、Yanmar、IOWN The Future Internet、ASICS、TSMC(JASM)などがある。撮影・照明・音声に加え、現地でのプロデュースまで担当した。規模も言語も異なる現場で問われるのは、結局のところ同じこと――この一カットに、作品としての必然があるか、だ。
この姿勢の源流は、2012年に海外企業の日本国内プロジェクト向けの撮影・技術を手がけたDFS Productionsにさかのぼる。そこから2025年の大笑株式会社設立(代表・出村穂高)へと連なる時間が、いまの映画作家・松村穂高の手つきを形づくっている。販促の効率ではなく、一本の作品として残るものを撮る。映画やドキュメンタリーを「作品」として世に出したいと考える方にとって、その違いは画面の隅々に現れるはずだ。

映画作家についてのご相談を承ります。大笑シネマプロは、大阪・東大阪を拠点に、物語映画とドキュメンタリーを一本の「作品」として撮る、大笑株式会社の映画・ドキュメンタリー制作部門です。脚本・演出・撮影・編集・音までを映画作家・松村穂高が一貫して手がけ、映画作家についても、企画から完成まで丁寧に伴走します。あわせて